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2019.04.15JAPAN BLUE JEANS

JAPAN BLUE JEANS “新次元のフィットジーンズ”

「 新次元のジーンズ 」

セルヴィッチジーンズ
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岡山県 倉敷市 児島
ここで日本のジーンズが産声を上げました

穏やかな瀬戸内海と島々を臨む、この自然豊かな景色。ここが国産ジーンズ発祥の地であり、今や“ジーンズの聖地”と呼ばれる岡山県倉敷市の児島です。その昔、児島は文字通り「島」でした。古事記の時代まで遡ると、国生みの神話に「吉備の児島」として登場。日本で9番目の島として誕生したのです。
それが江戸時代前期の干拓事業で、本州と地続きに。ただ、干拓地の新田は塩気が多いため、米作りには不向きな地。そこで塩気に強い綿花の栽培が盛んになりました。やがて数本の糸を1本に撚り合わせる撚糸業が興り、真田紐や小倉帯などの織物業に発展。明治に入ると民間初の紡績所が設立され、「足袋の生産量日本一」の町となります。そして時代の変化とともに学生服の製造をスタートすると、またもや「学生服の生産量日本一」を誇る町に。そうして紡績業、撚糸業、染色業、織物業、さらにミシン業者からボタン製造業者まで、多くの繊維業種が集積する町となったのです。

一方その頃、上野や神戸で話題を呼び始めていたのが、米軍が放出した中古のジーンズでした。戦後の日本にデニム人気が広まるなか、足袋や学生服の製造で培った技術を応用し、児島はジーンズ生産の町へと移り変わって行きます。最初はジーンズを解体し、縫い方や染め方を職人が研究するところからのスタートでした。
その努力が実り1965年、ようやく初の国産ジーンズがこの地で誕生したのです。

さらに1973年、倉敷紡績が国産デニム生地を開発。純国産ジーンズの流通が本格化していきました。児島地区には今も200社以上の業者が軒を連ねるほか、2009年には「児島ジーンズストリート」も誕生。
デニム愛好者はもちろん、欧州デザイナーも訪れる世界でも稀に見るジーンズ産業集積地にまで発展したのです。歴史的背景と職人の努力に支えられ、今も進化を続ける町、児島。大量生産では叶えられない“価値あるジーンズ”を作り続け、これからも日本全国へ、そして世界へと届けていきます。

日本生まれ、ヨーロッパ育ち
洗練のデニムが新たな一歩を踏み出します

「これ、売ってくれない︖」

フランスの展示会での出来事でした。私たちは“日本の最高級デニム生地メーカー”として毎年参加しており、生地を提案するためサンプルでジーンズを作っていたのです。
それを手に取ったイタリアのデザイナーが、目を輝かせて発言したのがこの一言。これが、JAPAN BLUE JEANS をスタートさせるきっかけでした。
試行錯誤を繰り返し、究極にまで仕上げたデニム生地には絶対の自信があります。でも相手はファッションの本場である欧米のデザイナーやバイヤーたち。彼らを満足させ、驚かせるシルエットとは何なのか。研究を重ね、人々を美しく見せる洗練のシルエットを完成させたのです。
だから私たちのジーンズは“日本生まれ、ヨーロッパ育ち”。
ファッションに生きる人々の美意識と審美眼に研磨されたものづくりが原点です。
そして2019年、さらなる進化を遂げるべく、新たな一歩を踏み出します。それが、腰周りのフィット感を追求した“新次元のジーンズ。日本人の体型に合わせるべく、曲線を描く「カーブベルト」を使用。だからこそ、ルーズ、クラシックストレート、ストレート、テーパードの4型に厳選しました。
さらに、それらを綿の産地、オンス、セルヴィッチの異なる4つの生地から選ぶことで、こだわりの一本が完成するのです。
欧米が認めたシルエットから進化して、原点回帰の日本人に向けたJAPAN BLUE JEANSのセルヴィッチジーンズへ。
世界を渡り歩いたJAPAN BLUE JEANS だからこそできるMade in Kojima のものづくりを、さらに極めていきます。

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